「走れメロス」を読む

                                                                 高山裕行

                                  

 「走れメロス」は、昭和十五年五月、雑誌「新潮」に発表された短編小説である。太宰治は、前年、石原美智子と結婚、新たな希望と決意をもって、数多くの作品を発表していた。そのうちの一編が「走れメロス」である。しかし、時代はすでに戦時色を強め、に中戦争の泥沼化とともに、日本の国際的孤立が進み、日独伊三国枢軸が実体化しつつあった。思想統制、言論、文学への規制もきびしく、この時期からの作品には、古今東西の名作をもとにしたパロディ的なものが多くなっている。

  ところで、「走れメロス」が、太宰治のいわゆる中期を代表する好短編であることは、多くの人が認めるところである。

例えば、奥野健男氏は「中期の明るい健康的な面を代表する短編」(註1)といい、小野正文氏は人間不信を克服した「健康で明朗な作品」(註2)と高く評価する。しかし、それとは逆の見方があることも忘れてはならない。

山田晃氏は「ここにはぼくらを太宰文学に傾倒せしめた清冽な苦悶も、暗澹たんたる絶望もない。あるいは逆説的な人生解釈や一皮剥いだ心理分析もない」(註3)と否定的見解を明らかにし、佐野和子氏は「走れメロス」は「悲しいどうしようもない」「人間の秘密をうたいあげ」たもので、「健康で明るい作品であるというみかたは、あまりにも的はずれである」(註4)と述べている。近年、国松昭氏も「『走れメロス』の暗さについての一考察」(註5・傍点原文通り)で、「走れメロス」前後の作品の比較検討を行い、「暗さを蔵した作品」(傍点原文通り)と結論づけている。

  このように相対立する評価が生まれる背景としては、やはり作品の主題をどうとらえるかにかかってくると思われる。

亀井勝一郎氏のように「友情の理想であり、人間への信頼の完璧な姿を夢見た」(註6)作品と考えるなら、まさしく「明るく清潔な作品」(註7)であるが、相馬正一氏も言うように、この時期の「太宰のニヒリズムを無視して読めば、まことに単調な一種の〈美談〉になり終ってしまう」(註8)のも確かであろう。では、そのニヒリズムは何に起因するものであろうか。

  それは、おそらく、鎌倉での心中未遂事件を原因とする〈裏切り意識〉と、パビナール中毒根治のための強制入院に端を発する〈裏切られ意識〉(このことを普通「人間不信」と呼んでいるようであるが、私としては「人間不信」には二つの側面があると考えるので、あえてこの様に表現した。)を、二大要素にするものと思われる。まさに、渡辺芳紀氏の言うように、「走れメロス」は「太宰治をおおっている人間不信を踏まえて論じられなくてはならない」(註9)のである。

 

                           2

 

 先ほど私は、「人間不信」には二つの側面があると書いた。それは、他人を裏切ったという〈裏切り意識〉と他人に裏切られたという〈裏切られ意識〉として現れるものといえる。では、太宰治における〈裏切り意識〉は、何を原因として生まれたのだろうか。

 奥野健男氏は、それを「コミニズムからの脱落」(註10)、つまり「転向」に求めている。しかし、、太宰がどこまでマルキシズム非合法活動に従事していたかは、いまだに定説がなく、断定的なことは言えない。したがって、私は「転向」以外のところに〈裏切り意識〉の根源を探るべきだと考える。

 ところで、太宰治は、昭和五年十一月、鎌倉小動崎においてある女性と心中未遂事件を起こしている。この事件では、相手の女性が死亡し、彼だけが生き残った。ここに、〈裏切り意識〉の生まれる所以がある。彼は「道化の華」(昭和十年五月 「日本浪漫派」)に、こう書いている。

  友よ、僕に問へ。僕はなんでも知らせよ う。僕はこの手もて、園を水にしづめた。 僕は悪魔の傲慢さもて、われ よみがえると も園は死ね、願つたのだ。(註11

  また、「虚構の春」(昭和十一年七月 「文学界」)には、次のような表現がみられる。   

  折りかさなつて岩から転落、ざぶと波を かぶつて、はじめ引き寄せ、一瞬後は、お互いぐんと相手を蹴飛ばし、たちまち離れて、謂はば蚊よりも弱い声、『海野さあん。』私の名ではなかった。

  この最後の一行は重要である。

  作品の主人公「私」は、心中相手の女と出会って「海野三千雄」という他人の名前をかたってしまう。女がいまわの際に呼んだのは、「私」がかたっていた他人の名前であった。いいかえれば、女は死の瞬間まで、その名を信じていたのである。

  問題は、太宰が何故このような書き方をしているのかである。それは、「女」(田部あつみ)が太宰を決して疑わず、信頼しきっていたと、彼自身思い込んでいたからではないだろうか。それ故、彼は自分一人生き残ったことに、どうしようもない〈裏切り意識〉を抱かずにはいられなかったのである。これは、まさしく他人の信頼を裏切ったという意識にほかならない。このように、私は、太宰における〈裏切り意識〉の根源を、「コミニズムからの脱落」という思想的〈裏切り〉にではなく、一人の女の「信頼」に対する〈裏切り〉という点に見いだすものである。

  では、次に〈裏切られ意識〉の生じた契機について考えてみよう。

  私はそれを、昭和十一年十一月のパビナール中毒治療のための入院事件に求めたいと考える。この入院が本人の意志というより、まわりの強い要請、いわば強制的なものであったことは、井伏鱒二氏も明らかにしている通り(註12)である。

太宰は井伏氏に師事しており、自分のことは何でも分かってくれているものと思い込んでいたのではないだろうか。その「信頼」を精神病院入院のいきさつによって、〈裏切られた〉と感じたのではないだろうか。「HUMAN LOST」(昭和十二年四月 「新潮」)には、次のような一節がある。

  「人を信じて、ぶちこまれた。」「私は君を一度あざむきしに、君は、私を千度あざ むいていた。私は『嘘つき』と 呼ばれ、君は『苦労人』と呼ばれた。『うんとひどい嘘、たくさん吐くほど、嘘つきでなくなるらしいのね。』」

  前者はおそらく入院事件のことを言っているのだと思われるが、後者は妻・初代の過失を踏まえて出てくる言葉である。太宰の入院中、初代はある男性と関係を持っていたのである。そこで、彼は、師にも妻にも〈裏切られた〉という意識を強く持つに至ったのである。「二十世紀騎手」(昭和十二年一月 「改造」)には、こうある。

   ああ、あざむけ、あざむけ、ひとたびあざむけば、君死ぬるとも告白、ざんげしてはいけない。……(中略)……

  ざむけ、あざむけ、巧みにあざむけ、神より上手にあざむけ、あざむけ。

  痛烈な皮肉である。信頼していた人に〈裏切られた〉という意識が、ここには渦巻いている。

  太宰における「人間不信」は、この二つの意識(〈裏切り意識〉と〈裏切られ意識〉)を併せて考えるとき、初めてその実体が明らかになるのである。それは、裏切りを伴わぬ信頼はありえないという、まさに「人間不信」の極限であるといえよう。

  「信頼」がいかなる位相であれ、それが〈裏切り〉を伴うものであることを自覚したとき、人はどのように生くべきであろうか。その模索が一年半の休筆であったことは間違いない。その結果、太宰は《信頼への絶望》を胸に秘めながら、明るく生きていこうと決意したのである。それは、仮面をかぶった姿であった。その仮面だけを見て評価するとき、中期

は「安定と開花の時代」(註13)となる。しかし、私たちは、その奥に潜む深い絶望感を読み取らねばならない。このような観点から、「走れメロス」を読んでみたい。

 

                  

 

 太宰は「走れメロス」の末尾に(古伝説と、シルレルの詩から)と書いているが、この作品の素材がドイツの詩人・シラーの譚詩「人質」(小栗孝則訳)であることは、既に明らかにされている。(註14

  では、「人質」と「走れメロス」の違いはどこにあるのだろうか。

  筋書きは両者ともほとんど同じであるが、「走れメロス」には、長谷川泉氏も指摘しているように、王や主人公に対する性格付与をはじめ、多くの「原詩にない肉づけ」(註15)がなされている。それを、長谷川氏によれば、次の六つの場面である。

  (1) メロスが故郷に帰って、妹を結婚させる場面。

  (2) 村を出てからのんびりと市に向かう場面。

  (3) 盗賊に襲われる場面。

  (4) 途中でついに力尽きてしまう場面。

  (5) 刑場で再会する場面。

  (6) メロスに緋のマントを捧げる最後の場面。

  このほかに、私としては捕縛された後の王の前での問答の場面に注目したい。これが全ての出発点であるように思われるからである。これと長谷川氏の指摘する(4)(5)(6)の諸点について、今から検討を加えていきたい。

  まず第一は、冒頭の部分の描かれ方である。王城に侵入して捕らえられ、王の前で尋問される場面がそれである。「人質」と「走れメロス」を比較して考えてみたい。

(人質)

  「私は」と彼は言つた「死ぬ覚悟でゐる

 命乞なぞは決してしない

  ただ情けをかけたいつもりなら

  三日間の日限をあたえてほしい

  妹に夫をもたせてやるそのあひだだけ

  その代り友達を人質として置いてをこう

  私が逃げたら、彼を締め殺してくれ(註16

  (走れメロス)

  ああ、王は利功だ。自惚れてゐるがよい。私はちやんと死ぬる覚悟で居るのに。命乞ひなど決してしない。ただ、ーー」と言ひかけて、メロスは足もとに視線を落し瞬時ためらひ、「ただ、私に情けをかけたいつもりなら、処刑までに三日間の日限を与へて下さい。たつた一人の妹に、亭主を持たせてやりたいのです。三日のうちに、私は村で結婚式を挙げさ

 せ、必ず、ここへ帰つて来ます。」(中略)「私は約束を守ります。私を三 日間だけ許して下さい。妹が、私の帰りを待つてゐるのだ。そんなに私を信じられない ならば、よろしい、この市にセリヌンティウスと言ふ石工がゐます。私の無二の親友だ。あれを、人質としてここに置いて行かう。私が逃げてしまつて、三日目の日暮れまで、ここに帰つて来なかつたら、あの友人を締め殺して下さい。たのむ。さうして下さい。」

  明確な違いがお分かりいただけるだろう。「人質」の方は、主人公の言動も力強く断固たる調子で描かれているのに対し、「走れメロス」は、明らかに口調が弱くなっている。途中で丁寧なもの言いに変わり、しかも「瞬時ためら」っている。このような不自然さを敢えておかした意図は、一体何だったのであろうか。

  それは、この部分が次に取り上げるところで出てくるメロスの弱さを暗示するものとして書かれた、ということである。それ故、冒頭のメロスは「人質」ほどの力強さを持っていないのである。

  ところで、最も大きな違いは、原作に忠実な筋立てでありながら、その中に太宰の創作になる部分を付加した点である。おそらく、作者は何かを意図して、これらの部分を書き加えたのであろう。その意図は、一体何か。最初に、次の場面に検討を加えよう。それは、メロスが村を出て刑場へ向かう途中、幾多の困難を乗り越えたがついに力尽きてしまう場面である。

   その時、メロスの心には「勇者に不似合いな不貞腐れた根性」が巣喰った。

   「正義だの、真実だの、愛だの、考えてみれば、くだらない。人を殺して自分が生きる。それが人間世界の定法ではなか ったか。ああ、何もかも、ばかばかしい。私は醜い裏切り者だ。どうとも、勝手にするがよい。やんぬる哉。」

  先行研究文献では、この部分に触れたものは少ない。例えば、長谷川泉氏の「人間としての弱点」(註17)、山田晃氏の「ディオニスへの屈服である。『どうせ、世の中って、こんなものさ。』(『古典風』)という不貞腐れである。」(註18)という見方、亀井勝一朗の「最大のピンチ」「悪魔の聶き」「心の迷い」(註19)、佐野和子氏の「『まよい』『思い』『悩む』メロス」(註20)という見解など、どれをとっても、その本質を突いているとは言えない。問題は、何故この部分が書き加えられたかである。

  先にみたように、原作にはないメロスの弱さは、作者によって既に書かれていた。冒頭の部分がそうである。それを受けて、この場面が展開される。メロスの心の弱さを明確にするためである。

  この部分で、メロスはセリヌンティウスの「信頼」を裏切ってしまう。セリヌンティウスが、自分の帰りを信じて待っていてくれていることを、メロスは疑いもしなかった。友の「信頼」を一心に受けていると、メロスは信じていた。それなのに、このまま遅れて行こうかと、彼は一瞬思ったのである。それは、メロスを信じている友の「信頼」に対する〈裏切り〉

行為であった。王に日限の猶予を願うとき、一瞬躊躇したのは、この場面がふと脳裏をよぎったからにほかならない。

  ここには、太宰の本音が出ているといってよい。昭和五年の心中未遂事件において、相手の女の信頼を裏切って自分だけ生き残った太宰の〈裏切り意識〉が、ここでふと首をもたげているのである。

 次に、メロスが超人的な力で刑場にたどり着いた場面の検討に入ろう。

  間一髪の差で刑場にたどり着いたメロスは、セリヌンティウスに「私は、途中で一度、悪い夢を見た。(中略)殴れ。」という。しかし、セリヌンティウスもまたメロスに言うのである、「メロス、私を殴れ。(中略)私はこの三日の間、たつた一度だけ、ちらと君を疑つた。生まれてはじめて君を疑つた。(後略)」と。

  「人質」にはないこの部分は、一体何を意味しているのだろうか。それは、「信頼」は必ず〈裏切り〉を伴うという、暗い人間認識である。メロスは途中でセリヌンティウスの信頼を裏切った。しかし、その時のメロスは、セリヌンティウスがメロスを疑ったとは、つゆほども思っていない。その「信頼」が「虚妄」(註21)であることを、作者はセリヌンティウスの告白で明らかにしたのである。

  この二つの場面で太宰が主張したかったことは、次の一点に集約される。つまり、「信頼」と〈裏切り〉は表裏の関係にあり、〈裏切り〉を伴わない「無垢の信頼」(「人間失格」)など有り得ないということである。

 

                  

 

 すでに見たように、「走れメロス」の評価は大きく二つに分かれ、その主題に対する考え方も大きく食い違っている。はたして、「走れメロス」は「健康で明朗な作品」なのだろうか。それとも、「暗さを蔵した作品」なのだろうか。

  「人間不信」という観点から論じるなら、「走れメロス」は明らかに「暗さを蔵した作品」である。「人質」の〈裏切り〉などてんから考えられない力強さに対して、「走れメロス」は、全てにおいて〈裏切り〉を基調としている。王城での対話における口調の極端な変化、その後の二つの場面、どれを見てもこの作品は明るい作品ではない。

  「人間への不信ということが、見事に克服され、人間の努力というものは必ず報われるという教訓さえ含んでいる」(註22)という読みは全くの的外れであり、「人質」にはないお互いの〈裏切り〉を書き加えた太宰の「清冽な苦悶」を、私たちは読み取るべきであろう。その意味で、山田晃氏の説は表面的に過ぎると言わねばなるまい。また、佐古純一郎氏は、「『真実とは、決して空虚な妄想ではなかつた。』おそらく太宰治が『走れメロス』でいいたかったことはただこの一語に尽きるのである。人間と人間とが信じあうということ、太宰はそのイメージを虚妄と信じなかった。」(註23)と述べているが、果してそうだろうか。太宰は「人間と人間とが信じあう」という「イメージを虚妄と信じなかった」のではない。「虚妄と信じ」たからこそ、二人がお互いを裏切った場面を書き加えずにいられなかったのである。

  最後に、「ひとりの少女が、緋のマントをメロスに捧げた」ラストシーンに触れておきたい。

  この場面も勿論「人質」にはない。また物語の流れからいっても、ひとりの少女がメロスにマントを捧げる必然性は感じられない。「緋のマント」が古来西洋では勇者に捧げるシンボルであったといわれるが、王が与えるのならともかく、一少女が捧げるのではいかにもちぐはぐである。いったい何故、この妙な挿話を太宰は書き加えたのであろうか。

  長谷川泉氏はこの場面を「画龍点睛の妙を発揮している結末である」(註24)と高く評価しているが、相馬正一氏は「蛇

足としか思え」ず、作者の「一種の照れかくしとも思える」(註25)と、消極的な評価しかしていない。しかし、私見では、この場面は決して「蛇足」ではない。作者はこの場面を付加することによって、物語全体の真意を隠そうとしたのである。つまり、このラストシーンは、〈裏切り〉と「信頼」の赤裸々な事実から、読者の眼を背けさせる役目を負っているのである。

 メロスの裸体はその心までが裸であるという意味で、まさしく裸体である。メロスの心は一般の人間のそれとなんら変わるところはなく、気弱な人間の気弱な心にほかならない。人間と人間とが信じ合う中で必然的に生まれてくる〈裏切り〉の意識を、太宰は「走れメロス」で明らかにしたのであるが、それは余りにも暗い人間認識であったが故に、この最後の場面

で、メロスにマントをかけることによって、それを覆い隠してしまったのである。  かくして、「走れメロス」は、表面的には明るい、一種の美談と化した。しかし、その奥底を流れる暗い情念は決してとどまることなく、中期から後期の作品へと流れ続けているのである。

 

(註)

1 奥野健男『太宰治論〈決定版〉』(昭和四一年四月 春秋社)

2 小野正文『太宰治をどう読むか』(昭和三八年一二月 弘文堂)

3 山田晃「走れメロス」(「解釈と鑑賞」 昭和三五年三月)

4 佐野和子「走れメロス」(森安理文編『太宰治の研究』 昭和四三年二月 新生社)

5 「信州白樺」五一・五二合併号(昭和五七年一〇月)

6 亀井勝一郎『無頼派の祈り』(昭和三九年八月 審美社)

7 相馬正一「太宰治の人と作品」(角川文庫版『走れメロス』解説 昭和四五年一二月)

8 同右

9 渡辺芳紀「走れメロス」(「別冊国文学 bV 太宰治必携」所収 昭和五五年九月)

10 註1に同じ

11 太宰治の作品からの引用は、筑摩書房版『太宰治全集』全十二巻(昭和五〇年八月〜五一年七月)による。ただし、

 仮名遣いは原文通りとし、漢字のみ新漢字に改めた。

12 井伏鱒二「解説」(桂英澄編『太宰治研究U』 昭和五三年六月 筑摩書房)

13  註1に同じ

14  角田旅人「『走れメロス』材源考」(日本文学研究資料叢書『太宰治U』昭和六〇年九月 有精堂)及び拙稿「『走れ

 メロス』素材考」(「日本文学」昭和六〇年一二月)を参照されたい。

15  長谷川泉「走れメロス」(『第五版近代名作鑑賞』昭和五二年八月 至文堂)

16  小栗孝則訳『新編シラー詩抄』(昭和一二年七月 改造社)所収

17  15に同じ

18  註3に同じ

19  註6に同じ

20  註4に同じ

21  佐古純一郎『太宰治論』(昭和三八年一二月 審美社)

22  小野正文「『走れメロス』雑感」(「太宰治研究」第三号 昭和三八年四月 審美社)

23  21に同じ

24  15に同じ

25  「『走れメロス』の背景」(『太宰治』昭和五四年六月 津軽書房)

(「北九州大学国語国文学」1987年11月)